HISTORY

プロジェクトのはじまり

1988年「海と陸のパンダ展」開催
1987年3月、飼育下のジャイアントパンダを保護するために、成都ジャイアントパンダ繁育研究基地が設立され、国際的な支援を必要としていたため、アドベンチャーワールドは寄付活動に参加。その後、日中平和友好条約締結10周年、当パークの開園10周年にあたる1988年に、日中友好協会及び和歌山県の協力と中国政府の承認を得て、中国動物園協会と短期借受展示の契約を交わしました。1988年、四川省成都動物園より、「辰辰」と「慶慶」の2頭のジャイアントパンダが当パークに来園しました。1989年1月までの3か月間、パーク内で「海と陸のパンダ展」を開催し、貴重な動物であるパンダをゲストの皆様にご覧いただき、絶滅に近い動物たちについての理解を求める保護啓発活動が始まりました。
飼育下での繁殖及び成育率の向上が急務に
1980年、世界中のパンダの飼育頭数は99頭のうち、92頭は野生のパンダで、飼育下で繁殖した個体はわずか7頭でした。1990年には、飼育下で繁殖した頭数は27頭に達しましたが、野生から導入した個体の死亡により、飼育合計数は増えず100頭前後で推移している状態。飼育下での繁殖及び成育率の向上が急務となったのです。

世界初の日中共同繁殖研究がスタート

中国政府からの承認までの道のり
そして1994年、ジャイアントパンダの輸入許可を取得することができました。同年9月に成都ジャイアントパンダ繁育研究基地の2頭のパンダが当パークに到着し、中国と海外動物園のジャイアントパンダ長期共同繁殖研究が世界で初めてスタートしました。中国動物園協会は、1989年にジャイアントパンダ繁殖技術委員会を設立し、ジャイアントパンダ繁殖研究が組織化。日本は中国のジャイアントパンダの繁殖に関する研究を支援するために、毎年、中国のジャイアントパンダ繁殖技術委員会の会議にスタッフを派遣しています。

繁殖研究のため、ジャイアントパンダが来園

世界初の国際繁殖研究のためにやってきた「永明」と「蓉浜」
繁殖研究のための個体は、中国側との協議の末、飼育施設で生まれたこと、繁殖に適したペアであることなどの諸条件を満たした「永明」(オス)と「蓉浜」(メス)の2歳の若いパンダに決まりました。「蓉浜」の名前は、成都市の略称「蓉」と、白浜の「浜」を意味し、当パークに搬入が決まったときに付けられました。オスは、「蓉浜」の年齢や血統を考慮して北京動物園生まれの「永明」が選ばれました。そして1994年9月、2頭のパンダは世界初の国際繁殖研究のために、当パークにやってきました。飼育当初は2歳と若いため、環境への適応や飼料研究、普及啓発活動などを行っていましたが、本格的に繁殖研究を進めていこうとした1997年7月に「蓉浜」が死亡し、繁殖研究はストップすることになってしまいました。その後、中国及び日本の関係省庁へ繁殖研究の継続に向けて協議し、出産経験のあるメス「梅梅」の導入が決まりました。2000年7月、「梅梅」が当パークに無事到着。こうして繁殖研究は再スタートを切ることができたのです。

飼育頭数の推移

  • ※1976年〜1985年・・・・・
  • 竹の開花と枯死によるパンダの死亡と保護
  • ※1987年・・・・・・・・・・・・・
  • 中国に保護研究施設2カ所開設
    中国成都ジャイアントパンダ繁育研究基地
    中国ジャイアントパンダ保護研究センター
  • ※1988年・・・・・・・・・・・・・
  • アドベンチャーワールド短期借受展示
  • ※1994年・・・・・・・・・・・・・
  • アドベンチャーワールド、ジャイアントパンダ日中共同繁殖研究開始